Category : 歴史

 油川は中世から外ヶ浜を代表する湊町として栄えていました。(中世港湾都市油川) 油川港には、すでに鎌倉時代から北越(山形)の船が交易のために入港し、北前船の出入りで賑わっていました。室町時代には浪岡北畠家が祈願所にしてい ..

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「墓前祭の由来」戦国時代、海上交易で栄えた外ヶ浜(現在の青森市や東津軽郡)の要衝だった油川城の城主奥瀬善九郎と、江戸時代に青森湊の開港奉行を務めた森山弥七郎の遺徳をしのぶものとして、油川連合町会の主催で、1947年から毎 ..

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油川明行寺(現、弘前円明寺)の女住職、油川城主奥瀬善九郎の妹 元の名を奥瀬妙と言う。真宗の油川明行寺の尼であったと伝わり、最後まで為信に抵抗を続けた人物である。 油川は大浦軍によって制せられ、為信に抵抗した浄満寺は荒廃す ..

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「異聞記」によると「油川へは南部奥瀬判九郎下り、外ヶ浜の代官となり、その子善九郎船水讃岐なり」と記されていることから、奥瀬家が油川城の城主だった事がうかがえます。 奥瀬家の祖は小笠原安芸の後裔である奥瀬安芸定直とされ、南 ..

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旧奥州街道104番目の宿場・油川宿入口付近に集められている寺社の最後が浄満寺。油川宿中心部に近いにところにあり、津軽半島で最古の寺と言われています。 浄満寺境内には、青森湊を開いた森山弥七郎の供養塔や、本堂背後の高台は千 ..

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松前街道の起点、羽州街道の終着点 西田酒店の黒塀前に「羽州街道松前街道合流之碑」と「この合流の地に夢を託して」と題する案内板があります。この碑の道向かいが旧羽州街道です。県道234号と合流しています。 「ここはみちのくの ..

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油川は遠国基、奥瀬善九郎が城を築き、外ヶ浜を支配していましたが、天正13年(1585)津軽為信に攻められ南部へと逃れました。 津軽氏の領地となってからは弘前、松前や青森、小湊方面からの街道が集まり、外ヶ浜の中心として商人 ..

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本陣近江屋跡は空き地となっており、「先人の足跡消えず」碑が建てられてる。西田酒造となる初代西田三郎右衛門は元禄時代に油川に移住してきた近江商人であるが、近江商人としてはほかに平井津兵衛(近江屋)がいた。延宝年間(1673 ..

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青森市油川は「大浜」と呼ばれ鎌倉から戦国時代にかけて“外ヶ浜”<津軽半島東海岸一帯>で最も栄えていた港でした。 この油川大浜に、西田三郎右衛門は元禄時代に移住してきた近江商人で、代々呉服商を営んで油川後潟両組の大庄屋を勤 ..

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青森開港の恩人 1573-1666 江戸時代前期の武士。天正(てんしょう)元年生まれ。陸奥弘前藩(青森県)藩士。2代藩主津軽信枚(のぶひら)につかえ、高岡(弘前)築城に際して鉄材調達に尽力。寛永元年(1624)開港奉行と ..

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所在地:青森県青森市西田沢浜田他主な城主: 奥瀬判九郎、奥瀬善九郎築城:不明廃城:天正13年(1585年) 津軽藩の記録によると、天正13年(1585年)羽柴秀吉が関白になった年に油川城は大浦為信ためのぶの攻撃 ..

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イタリア人のジュセップ・ファブリー氏が設立したフランコ・イタリアン缶詰会社の事務所兼住宅として建てられた洋館。(青森市油川柳川30) 通称”イタリア館”は干物屋丸敏水産株式会社の住宅として使用されていましたが、2018年 ..

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油川でイワシの缶詰工場&トマト栽培発祥地 今から100年前の大正5年(1916 年)の12月、イタリア人ジュセップ・ファブリーが油川に来ました。 青年時代にはイタリア近衛騎兵の下士官を勤め、日本に来たのは50歳になってか ..

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昭和8年(1933)3月30日竣工 青森市大字羽白字富田・字池上・字沢田・大字西田沢の一帯、青森駅からほんの数キロ陸奥湾に面した所に、かつて青森飛行場がありました。 昭和初期に東北地方を襲った大凶作に対し、政府による農民 ..

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1.青森飛行場跡地 東京・札幌・仙台を結ぶ青森がほこる飛行場の格納庫で戦時中は陸軍が接収、燃料や弾薬、機体などがいんぺいされたところです。 ですが平成16年に解体されました。鉄骨には戦時中についた弾痕がのこっており、戦争 ..

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昔々、油川の上流の原野に鶴の親子が住んでいた。ある年、野火が起こって巣の近くに燃え迫り、まだ飛べない雛鳥をかばいながら親子共々野火に巻かれて死んでしまった。このとき鶴の体から出た膏(あぶら)が川に浮かんで流れ出たことから ..

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