西田酒造店

  歴史,

青森市油川は「大浜」と呼ばれ鎌倉から戦国時代にかけて“外ヶ浜”<津軽半島東海岸一帯>で最も栄えていた港でした。 この油川大浜に、西田三郎右衛門は元禄時代に移住してきた近江商人で、代々呉服商を営んで油川後潟両組の大庄屋を勤めました。明治11年(1878年)西田興太郎が酒造業に進出し創業の青森市唯一の酒蔵「田酒」・「喜久泉」の醸造元である(株)西田酒造店があります。青森市と東津軽郡(外ヶ浜)でただ一軒の造り酒屋であり、江戸時代の豪商三上重郎兵衛邸跡でもあります。

屋敷は三上家のものを昭和初期に西田家が譲り受けたものです。(造り酒屋は、江戸時代半ば頃には十数件もありましたが、昭和初期には三上重郎兵衛(先祖は武士、油川村の富豪として数代上席を占める。寄付数多、世のため、村のために尽力す。大正3年7月青森県酒造組合総合会長に推薦された。)商店ただ一軒だけになっていました。同店の年間醸造高は2300石(約23万本)前後で、売られていく範囲は北海道・秋田県・東津軽郡などが主でした。~「油川町の歴史」より抜粋)西田家はもともとは麹屋として江戸時代に油川に居を構えました。明治期、蟹田村に支店を設けて酒造業を営む、蟹田を拠点に商売をしていました。昔の商店街の面影を残すのはここだけとなっています。

創業:明治11年
所在地:青森市油川大浜46

田酒:田の酒と書いて「でんしゅ」と読みます。「田」はもちろん、酒の元となる米が獲れる田んぼを意味し、名前の通り、日本の田以外の生産物である醸造用アルコール、醸造用糖類は一切使用していないことを力強く主張した、米の旨みが生きる旨口の純米酒です。
「日本酒の原点に帰り、風格ある本物の酒を造りたい」という一念で、昭和45年に昔ながらの完全な手造りによる純米酒の醸造に着手。その後、商品化までに3ヶ年を費やし、発売は昭和49年10月1日でした。

株式会社西田酒造店