油川は中世から外ヶ浜を代表する湊町として栄えていました。(中世港湾都市油川)
油川港には、すでに鎌倉時代から北越(山形)の船が交易のために入港し、北前船の出入りで賑わっていました。室町時代には浪岡北畠家が祈願所にしていた熊野宮があり、また、近畿北陸からの移住者が集まって二軒の門徒寺、円明寺、法源寺を抱えていました。また、後背丘陵には南部系豪族奥瀬家が、数代に渡って油川城を構え一帯の治安を確保していました。さらに、地理的に海陸交通運輸の拠点であったことから、油川は青森や弘前のような近世都市出現以前に、早くから中世都市として機能を果たしていたものと考えられます。松前街道と羽州街道が合流する地(中世貿易の拠点)、油川に住む南部派の商人らが、領主である津軽家に馴染まずに反発を続けたため、交易の利権を奪い、油川の湊の機能を制限することが目的となり、寛永元年(1624)、津軽信枚が森山弥七郎に命じて、青森港を開きました。また、米穀類の江戸、松前方面への回送も目的の一つでした。
寛文4年(1664)には油川での規制が緩和され、油川の人口も増えていきます。そこで、酒造業で財を成す商人が生まれました。そのうちの一つが、今も創業を続けている西田酒造店です。
また、油川地区にある浄満寺の境内には、青森港開港を手掛けた森山弥七郎の供養碑があります。それは、江戸時代初期の青森を物語る貴重な市指定文化財です。浄満寺には、造仏僧・円空が残していった仏像もあります。
油川埠頭(青森港)
国は26日、洋上風力発電事業の建設拠点となる「基地港湾」に、青森市の青森港を指定した。全国6例目、県内初の指定となり、同港油川埠頭(ふとう)を大規模改修する。つがる市、鯵ケ沢町沖(青森県沖日本海南側)に風車を設置する発電事業者が安定的に利用できるよう、油川埠頭を最大30年間貸し付ける。改修後の2028年度から埠頭を活用した発電設備の建設作業が始まり、国や県は最速で30年6月までの運転開始を見込む。(2024年4月26日東奥日報より)
油川埠頭とは木材を積んだ船が入港しなくなった木材港のことで、現在は冬期間24時間雪が捨てられる油川埠頭として認知されていました。これからの油川埠頭は、国土交通省の説明によると、基地港湾として主に使われることになり、令和9年度までの4年間に123億円をかけて地盤の改良工事などを進めていくことになります。
令和4年6月と昭和45年頃の木材港