油川城址

  歴史

所在地:青森県青森市西田沢浜田他
主な城主: 奥瀬判九郎、奥瀬善九郎
築城:不明
廃城:天正13年(1585年)

津軽藩の記録によると、天正13年(1585年)羽柴秀吉が関白になった年に油川城は大浦為信ためのぶの攻撃によって落城し、城主奥瀬氏は田名部方面へ逃れたとある。(「新青森市史 資料編2」p498~500 青森市史編集委員会) 南部氏の家臣として津軽の要所を支配していた城主・奥瀬善九郎は少人数の部下とわずかな軍資金をもって田名部方面へ逃れた。『津軽一統志』の一文に「天然ノ質大臆病」と書いてある箇所から、奥瀬善九郎は臆病な性格であることが伺える。結果として為信は一戦も交えず、油川城を攻略した事になる。


油川城に関しては、どのような建造物があり、どのような生活が営まれていたのかというような記録は全くない。現在、油川城の周辺は畑地と植栽地になっており、注意して見ると堀跡や土塁の痕跡が明瞭に残っている。特に、油川や西田沢の市街地を望む丘陵の先端部から、西側にある堀跡までの平場(曲輪くるわ)では、畑のうねから陶磁器などが採集できる。中国・朝鮮・日本産の陶磁器、鋳銅の用具、銭貨や銅製の金具類、生活用具が発見されている。年代的には15~16世紀のものがほとんどで、同時期の城館である浪岡城ときわめて類似している。これらの遺物群は、海上交易の盛んな様子をも示している。

青森市北部市民センター「地域マップづくり」の講座受講生と応援隊による西田沢・奥内・後潟の地域の魅力サイトにも、油川城跡の詳細がまとめられておりこちらもお勧めです。

油川城と遺物の採集地
▲油川城と遺物の採集地(西田沢字浜田)

青森県遺跡地図より

油川城と大浜より
青森県教育委員会遺跡地図(津軽地方)より